男女差別

こんばんは、ミュウです。

夏期講習が終わってからそろそろ1か月になりますが、体調不良や生活リズムの乱れがあまり改善されません。
仕事場での勤務は午後から(仕事は時間に関係なく家でもやっているので)ですが、夜遅くまで仕事場での勤務。
帰ってからは更に仕事、酷いときには日が昇ってくるまで仕事をし、そこから寝て起きるのが昼頃になり、慌てて仕事に向かう準備をして仕事場に行き、夜遅くまで勤務。
……
というのを繰り返す日々になってしまっています。
自分で自由に使える時間なんてほとんどありません。

そのため、今回は仕事中ですが、夜遅くではなくできるだけ早い時間に記事を上げ、できるだけ早く寝ようと思っています。
仕事中?日曜なのに?と思った方は……さすがにいませんよね。
自宅での無給労働を強要されているので、日曜だろうが塾が閉まっていようが、自宅で仕事に追われているのです。


さて、今回の話題は男女平等についてです。

この話題は以前の記事「本当の「平等」とは何か」でも書きました。
「男女平等を達成するためには、男尊女卑の改善だけでなく、女尊男卑の改善もしなければならない」
これこそが本当の男女平等であるのだと私は主張しましたが、世間はそうはなっていません。

当然、男女不平等を指摘し、男尊女卑の改善に声を上げる人の多くは女性であり、その批判はごもっともなものが多いです。
私はそれに対して批判する気もありませんし、一刻も早く是正すべきことだと思います。
しかし、男女平等を主張している女性が、女尊男卑になっている事例について批判することはほとんどなく、それどころか、男尊女卑であると批判していることと対になっているように女尊男卑になっている事例でさえも、女性は批判することがほとんどありません。

「女尊男卑になっている事例も同じように批判すべきじゃないのか」という声が上がると、男尊女卑について批判している女性の多くは、「男性が批判の声を上げれば良い」と言うのですが、それはおかしな話です。
私が以前から言っているように、男女平等というのは、男尊女卑も女尊男卑も否定しなければいけません。
それなのに、女性にとって都合の悪い男尊女卑だけ批判し、女性にとって都合の良い女尊男卑は批判しない女性は、男女平等を望んでいるのではないということです。
男女平等を盾にして、女性にとって都合の悪いことだけ是正させようとしているに過ぎず、それは男女平等ではないからです。
また、男性が女尊男卑を批判すると、女尊男卑を批判する男性を批判するような女性がいますが、そのような女性を批判する女性はほとんどいないでしょう。
個人的に批判することはあっても、男尊女卑のように声を上げて批判するような女性はほとんどいません。
このような女尊男卑批判をさせない空気作りも、間接的に男女平等を阻む一因になっているのです。

ですから、私はあえて女尊男卑であると感じたことも声を上げるべきだと思い、男尊女卑についても女尊男卑についても、あまり不平等として声が上がっていないことを記事にして書くことにしました。
(男尊女卑についてはすぐに批判の声が上がるので、なかなか声が上がらない女尊男卑について書くことが多くなってしまうと思います。)
それが、微力ながらも世間に正しい男女平等の意識を広めるきっかけになれば、子どもたちに正しい価値観を身に付けさせるきっかけになればと思います。


さて、ここからが今回の本題です。
さいたま市で進藤遼佑さんが殺害された事件で、容疑者で義父の進藤悠介氏(報道では、当初は容疑を認めるも、その後否認に転じたとのこと)が無職であるということから、「ヒモ」と表現する報道が目に入りました。
この「ヒモ」という表現が女尊男卑であると私は思うのです。

「ヒモ」というのは、自分が十分な稼ぎを得ず、経済的にパートナーを頼ることを指している言葉だと思いますが、批判や軽蔑の意味で使われる言葉です。
この事件の家庭でいうと、母親は高校の教員として働き、義父の悠介氏は主夫であるという状況ですが、母親が働き、義父が母親の収入を頼りに主夫(無職)でいることを批判・軽蔑しています。

では、これが逆だとどうでしょうか?
つまり、父親が働き、母親が主婦(無職)である場合、母親に「ヒモ」という言葉を使い、母親を批判・軽蔑する人がどれだけいるでしょうか?
恐らく、母親を批判・軽蔑する人はほとんどいないでしょう。
なぜなら、この「ヒモ」という言葉は、基本的に男性が女性を頼っている場合にのみ使われる言葉だからです。

そしてもう1つ別の事例。
ネット上に結婚についての失敗談を語る女性のエピソードがあり、それが目につきました。

その内容はというと、
・美容師アシスタントの男性と結婚した実業家の女性の後悔話。
・結婚はお金ではない、自分が養ってでもと思って男性と結婚した。
・男性がアシスタントとしてついていた人の愚痴を言うようになり、退職して独立。
・生活費も自分が出しているのに稼がない男性にイライラ。
・男性に家から出て行ってもらおうと思っている。

などというものでした。
(再度確認しながら記事を書こうとしましたが、記事が消されたのか見つからなかったので、記憶に残っている部分だけです。)

さて、この記事の中で目に付いたのが、稼がない男性への批判でした。
この女性の価値観でしかないといえばそれまででしょうが、上にも書いたように、稼ぎがない男性を批判する人は多くいます。
このケースでも男性を批判する方が圧倒的に多いでしょう。
しかし、男女が逆だったら。
つまり、
・稼ぎがない女性と、実業家の男性の結婚。
・女性が職場の愚痴を言うようになり、退職。
・生活費は男性が出しているのに、女性は稼がずイライラ。
・男性は女性に家から出て行ってもらおうと思っている。

という状況だったら、女性を批判する人はどれだけいるでしょうか?
むしろ、「追い出すとか信じられない!」などという男性に対する批判が圧倒的に多いはずです。

また、退職前に愚痴を言う男性への批判もありましたが、これも逆だったらどうでしょうか。
例えば、デートで女性が愚痴を話しているときに男性が「愚痴なんて聞きたくない」と言ったら。
女性は、女性が男性に話をすることについて「話を聞いてくれるだけでいい」という人が多いようなので、男性が女性にこんなことを言ったら「話くらい聞いてあげるべきだ!」などと批判が続出するでしょう。
(「話を聞いてくれるだけで」と言っておきながら、女性の話に男性が反対意見を言うと不機嫌になる女性は非常に多いんだとか。つまり、女性の「話を聞いてくれるだけでいい」というのは、相談でも意見を求めているのでもなく、「女性が言いたいことだけ言って、男性はそれに同意しろ。」という、女性の自己満足のためだけの行動であると言えるのかもしれません。)


このように、正当性がないのに、男女が逆転すると途端に批判が起こったり起こらなかったりするような事例は、男女不平等であると言えるのではないでしょうか?

経済的に女性を頼る男性を「ヒモ」と表現して批判・軽蔑するのが許されていたのは、「男が仕事で稼ぎ、女が家庭を守る」という役割分担が定着していたからであるはずです。
その役割分担が否定され、女性の社会進出や賃金格差の是正が推進されるのであれば、それと対になっていた「男が仕事で稼ぐ」という意識も否定されなければならないはずです。
つまり、男性が経済的に女性を頼っても批判されないようにしなければなりません。
そうすれば、性別に関係なく「稼ぎの良い方が家計を支える」という考え方になり、男女どちらが家計を支えても批判が起こらない男女平等の状態になるはずです。
また、男性が仕事で稼ぐという役割分担があったからこそ、男性がデート代を全額支払うことが「家計を支えるだけの経済力があります」と女性にアピールすることにもなったのですから、デート代の支払いを全額男性に求め、支払ってもらえなければ「あの男はケチ」などと吐き捨てる女性も批判されるようになるでしょう。
最近では、デートでクーポンを使うだけで「ケチ」という女性もいるそうですね。
これも「自分に使うお金をケチっている」という自己満足でしかなく、その根底にあるのは「男性が女性をもてなすべきだ」という女尊男卑の考えなのだと思います。
(「結婚してもお金のやり繰りをきちんとしてくれそうな男性だな」と考えれば良いのに……)


この世の中が「正しく」男女平等になることを願います。



それでは今回はこれで失礼します。

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