心の貧しさ

こんにちは、ミュウです。

今年もあと1週間ちょっとで終わります。
冬期講習という、生活の大半を塾で過ごし、家には寝るだけのために帰るという生活が始まります。
この労働環境、どうにかならないのでしょうか?
労働環境を監査する機関として「労働基準監督署」(以下「労基署」)というものがあるそうですが、ここまでブラック企業だと有名になっている学習塾業界に、労基署は何もしてくれないのでしょうか?

さて、今回の話題は差別についてです。

最近、青山に建設が計画されている児童相談所などが入った複合施設に対して、住民が反対している問題が大きく取り上げられています。
その複合施設は、何らかの家庭の問題で保護された子どもや親子のための役割や、子育て支援のための役割、そして非行などの理由で一時的に保護すべき子どものための役割も果たすようです。
説明会での反対する住民の言い分はいろいろあり、理解できるものもあります。
しかし、あまりにも差別を助長する身勝手な言い分も多いのです。

「何で青山の一等地にこんな施設を作る必要があるのか」
「地域の価値が下がる」
「高級ブランド店が並ぶ中で非行者が生活したら万引きをするのではないか」
「塾にも通ってレベルも高い学校に家庭の問題で保護された子を通わせたら、ついていけずに可哀想じゃないか」


などという反対理由が報道されています。
私はこれらを聞いて唖然としました。
それと同時に、このブログで指摘してきた教育の問題点がここにも表れているなと感じました。

そんな中でも理解できるのは2点。

まず、地価の高い青山にわざわざそのような施設を建てる必要があるのかという点
公共施設ですから、当然税金によって建てられるわけですが、費用が安く済むのであればそれに越したことはありません。
他に安く建てられる場所があるのであれば、そちらにすべきではないかという考えは普通のことだと思います。
しかし、そこに建てる理由があるからこのような計画になっているのですし、それを理解してもらうための説明会なのですから、きちんとその理由を聞いてほしいです。

もう1つは、人間には、厄介事には関わりたくないという心理がはたらく点
保護される人々は何かしらの問題を抱えているわけですから、関わらなくて済むのであれば関わりたくないでしょう。
外部から見ず知らずの人が来るよりも、顔見知りの人々だけで生活できる方が安心できますし。
しかし、都合の良いことばかり優先して生きていくことなどできません。
何かを得るには何かを我慢しなければならないことだってあるのです。
社会の中で必要とされている施設であるということを考えれば、住民には多少の不安はあっても我慢をしてもらう必要はあるでしょうし、子育て支援などの役割も持っていて、住民にとっても有益な施設であるという点にももっと視点を向けてほしいと思います。

さて、反対理由の中で私が特に問題だと思ったのは次の2点です。

1つ目は、その地域が他とは違う特別な場所であると主張している点。
住民は、「青山」という地域が特別であり、資産価値や取り扱う商品、教育レベルなどが周りよりも優れているという主張をしています。
現実はそうかもしれません。
しかし、このような施設が建設されたことによる地価下落の事例は過去にないそうです。
つまり、「資産価値(地価)が下がる」というのは、住民の勝手な思い込みか、複合施設を作らせないために捏造した言い分であることがわかります。
また、公的に「青山は特別な場所」と指定されたことなどなく、あくまで人間の意識の問題であると言えます。
「複合施設以外に魅力ある施設を作るべき」と主張している方もいるそうですが、それも意識の問題でしょう。
「魅力ある施設」というのは、高級店や大型ショッピング施設などのことを指しているものと思われますが、住民にとって都合の良いものを「魅力がある」、都合の悪いものを「魅力がない」と決め付けているのではないかとみられます。
建設予定の施設には子育て支援の役割もあるので、普通の子育て世代の方にとってみれば十分魅力がある施設ではないかと私は思いますが。

そしてもう1つは、「保護された子が可哀想」という主張がされた点。
私はこちらを特に問題視しています。
何故なら、これは差別であり、保護された子を思いやっているように見せかけて、「自分たちは一般人とは違う特別な存在なのだ」という主張をすることに保護された子を利用しているからです。
保護された子を高いレベルの場所に混ぜることが可哀想だと言いますが、それは周りの配慮次第でどうにでもなります。
気さくに話しかけたり頻繁に交流を持ったりして友好的に接していれば、そんなことは起こりにくくなるはずです。
また、上にも書いたように、青山が特別な場所だというのは人の意識の問題です。
もし特別感によって保護された人が可哀想になるのであれば、ここまで特別感を強調して施設建設を反対しているのですから、その特別感を意識させている住民は加害者側であると言えます。
これは、いじめの加害者が被害者に「可哀想」と言うのと同じです。

この問題に関しては、以前の記事「中高一貫校の弊害」でも書いたことですが、子どもたちが成長していくときに、様々な価値観を持った人々と接することは非常に大事です。
他人との違いに対する理解や協調性などが育つ機会の1つになるからです。
では、今回の問題で反対している住民はどうでしょうか?
保護された人に対して、始めから友好的な態度を取ろうとしておらず、自分たちの裕福な家庭との違いを鮮明にしています。
助けが必要な人を助けようという気がまったく感じられませんし、孤立させる意図しか感じられません。
これこそまさに、以前の記事で書いた教育の弊害だと思います。


私がこの問題で注目してほしいのは、経済的な裕福さはあっても心が貧しい人々の存在です。
自分のためなら社会なんて関係ない。周りがいくら不幸になっても構わない。
そのような考えを持つのは仕方ないにしても、それを平然と行動に移してしまう人々がいて、そんな人々を生み出している現代の教育に改めて失望しました。
このような地域で、このような考えを持つ親に育てられる子どもたちもまた、同じような価値観を持って大人になっていく可能性は高いでしょう。
このような負の連鎖がどんどん社会を蝕んでいるということに、もっと危機感を持つべきではないでしょうか。


それでは今回はこれで失礼します。

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