自由の容認と制限

こんばんは、ミュウです。

一気に寒くなりました。
記事を書いている間も体は冷える一方です。
電気代を気にして暖房は使わないようにしているのですが、そろそろ暖房がほしいな……

さて、今回の話題は自由です。

最近のことですが、大阪の高校で地毛証明書を提出させていることが問題視され、地毛が黒でない子の人権が侵害されているというような意見があったようです。
それに追随するかのように、髪の長さやアクセサリー、化粧などのファッションに関することから、制服の存在まで疑問視する意見も出てきているようです。

ここで問題となるのが、子どもたちの自由を制限することが良いことなのかということです。
大人になれば、髪の毛を染める人も多く、アクセサリーもかなり自由につけていますし、化粧もバッチリ決めている女性は多くいます。
制服がなくてかなりラフな格好で仕事をしている会社もあります。
このように、大人はかなり自由にやっているのに、子どもたちの自由を制限することが良いことなのか、大人だけ認められて子どもは認められないのはおかしいのではないか、というのが、子どもたちにもっと自由を与えるべきだと主張する人の考え方です。

ただ、私はこのような考え方には反対です。
何故なら、自由を制限することは教育的に意味があることだからです。

学校で学習することは教科教育以外にも様々ありますが、その中の「集団行動」という部分に大きく関わってきます。
家庭でも躾は行われますが、社会という大きな枠組みの中で生きていく上で、大人数・組織の中で自分がどのように立ち振る舞わなければならないかということを、家庭の中で教えるのは限界があります。
地域ごとに子ども会などの組織がある場合もありますが、小規模で顔見知りも多くいる環境では、集団行動の経験を積むにはまだまだ不十分です。
それに比べれば、大人数で最初は顔見知りも多くなく、しかも先輩後輩や先生との関係などまで経験できるのが学校であり、「学校」という1つの小さな社会の中で、様々な経験することができるのです。

その小さな社会の中で子どもたちに自由を与えすぎるとどうなるでしょうか。
もちろん、きちんと善悪の判断ができる子もいるでしょう。
しかし、そういう子はそこまで多くはありません。
もしかしたらルールを守ることへの意識が薄まり、子どもたちがやりたい放題してしまい、学校という場所が教育できるような状況でなくなってしまうかもしれません。
しかも、いくら大人の社会がある程度の自由が認められる場所であっても、ルールはいくらでもあります。
学校でも自由が認められて好き放題やってきた子どもたちが、大人の社会でルールを守ってやっていけるでしょうか。
また、ルールを守ろうという意識を持って生きていけるでしょうか。
そう考えたとき、大人の社会では認められていることでも学校ではルールとして制限すべきことがあるというのは仕方のないことだと思います。

ただし、だからといって何でも制限して良いということではありません。
何を認め、何は制限すべきか、という部分については、時代によっても違うと思いますので、議論の余地はあると思います。

では、冒頭で挙げた「地毛証明書」はどうでしょうか。
髪の毛が黒でない子に地毛証明書を提出させる行為は、「日本人の地毛は黒」という決め付けで、黒い髪でない子に染髪の疑いをかけていると見ることもできます。
それでは、何の証拠もないのに疑われたわけですから、地毛が黒でない子にとっては気分は良くないでしょう。

しかし、これについても私は仕方ないことだと思います。
学校は教育を目的とする場ですから、おしゃれをする場ではないという意味で身なりの自由の1つとして染髪禁止にするのは正当な行為だと思いますし、髪が痛む染髪を子どものうちからさせないようにして、健康な髪を守るという目的もあるでしょう。
そして、この「染髪禁止」というルールを徹底するためには、髪の色が元々何色なのかというのをはっきりさせないといけません。
学校に入学してから髪の色が変わったら髪を染めたということはすぐにわかりますが、入学前から髪を染めている子は判断ができません。
一般的に、日本人の地毛の色は黒が多いわけですから、髪の色が黒でない子を見たら、髪を染めていないかを確認しなければならなくなるのは自然なことです。
もしそれで確認しなければ、入学前に髪を染めてしまえばOKとなってしまい、染髪禁止のルールが無意味になってしまいますし、地毛が黒でない生徒が染髪の疑いをかけられて学校生活を送るのも苦痛であるはずです。
また、教員にとっても、髪の色が黒ではない生徒がいても、それが地毛であるという証明がされていれば不要な注意をして生徒を不快にさせることがなくなります。
つまり、地毛証明書は生徒を守るものでもあり、教員にとっても指導がしやすくなるものなのです。
ですから、地毛証明書の提出を求めるのは仕方ないことだと私は思います。

ただし、この地毛証明書の扱いは、あくまで
「黒い髪でないけど地毛だということを証明するもの」
「染髪の疑いを晴らし、その子が不利益を被らないようにするためのもの」
でなければならず、決して「地毛が黒でないことで差別を助長するもの」であってはいけません。

最後になりますが、学校であっても自由を容認している学校もあります。
私立の全国トップレベル校では、染髪などは自由、制服もなし(学校の制服はあるが着用は自由なども含む)という学校もあります。
埼玉県内では、公立の浦和西高校がかなり自由な校風を売りにしています。
制服もなく、服装は自由になっています。
ただ、そんな浦和西高校でも、染髪とピアスが数年前から禁止になったそうです。
詳しい理由はわかりませんが、恐らく上で書いてきた「自由を容認しすぎて教育の場として相応しくなくなった」という部分なのでしょう。
自由な校風の学校は高偏差値校で多いですが、それは同時に、「自分たちで善悪の判断ができる」ということを子どもたちに求め、それができるレベルの子が入学に値すると判断しているわけです。
浦和西高校も、埼玉県内ではそれなりの難関校と分類されますが、自分たちで善悪が判断できるレベルの子が集まっていたのが、徐々に「自由な校風で、染髪やピアスができる学校」という認識で、善悪の判断ができないのに自由ばかり求める子が多く集まってしまったのでしょう。
だから今まで売りにしてきた自由を制限せざるを得なくなった、という理由なのかなと思います。
現に、学習塾で志望校の調査をしていても、明らかに学力が低くて見合わない生徒が浦和西高校を志望するというケースがいくつも見られ、理由を聞くと必ず「自由な校風」という言葉が出てきます。
通学時間を考えても通うのが現実的でない場合でも、「引っ越す」とまで言って浦和西高校を志望する生徒もいるくらいなのです。

自由を求めることが悪いことだとは思いませんし、できるだけ自由な環境の方が楽しく生きていけるでしょう。
しかし、時には自由を制限しなければならないことはありますし、教育の中で子どもたちの自由を制限することには理由があるのだ、ということをきちんと理解していただきたいです。
そうすれば、何故学校であんなに先生が怒っているか、何故あんな校則があるのか、などということが自然と理解できてくると思います。
もしこの記事を中学生や高校生が読んでいて、それでもこの記事に書いてあることに納得できなければ、大人になって社会に出てからもう1度この記事を読んでいただきたいです。
子どものうちはわからなくても、大人になって経験して初めてわかることもあるので。



それでは今回はこれで失礼します。

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