テレビ番組のコメントから見る教養

こんばんは、ミュウです。

明日(正確には今日)からGWだという方もいると思いますが、私には連休なんてないのです……


さて、今回の話題は教養についてです。

2014年に、韓国でセウォル号が沈没した事故があり、それに関するニュースは日本の報道番組でも大きく取り上げられました。
そして、2015年には「事故から1年」という内容で再び事故が取り上げられていましたが、私がある報道番組を見ていたときのことです。
セウォル号が右に急旋回し、船体が左に傾いて沈没したという事故分析の話をしていたとき、司会者のある芸能人が、
「右に旋回して、何故左に傾くんですか?」
「右に旋回したら右に傾くものではないんですか?」

という趣旨の質問をしたのです。
これを聞いて、何も不思議に思わない方もいるかもしれません。
しかし、「何を言っているんだ」と思う方は多いと思います。
私もそう思いました。
この司会者は、
「自転車に乗っていて、右に曲がるときには体は右に傾く。だから船も同じではないか。」
という疑問を持ったようなのです。
(台本の決められた質問をそのまま読み上げただけなのかもしれませんが……)
普段体験している感覚だけで考えればそうなるのかもしれませんが、この考え方が間違っているということはおわかりかと思います。
自転車で右に曲がるときに体が右に傾くのは、右に曲がると左側に遠心力が働くため、バランスを取るために自然とやっていることです。
セウォル号のような大型船では、この「右に傾ける」という動作ができないため、船や積み荷などが左側へ遠心力を受けてバランスを崩したということです。
この「遠心力」という概念は、中学校理科で習う「慣性の法則」によるもので、身近な事象が中学校レベルの知識でも説明できる1つの身近な例です。
この司会者は、中学校レベルの知識を忘れてしまったのか、知ってはいても、思考の過程で使うことができなかったのかはわかりません。
(台本だとしたら、番組制作者がそのレベルの説明が必要だと判断したということでしょう。)
ただ、どれであっても、せっかく中学で習ったはずの思考の材料になる知識が生かされていない(生かそうとしていない)ということになります。

また、別の番組での話です。
あるクイズ番組で、名門大出身者チームの一員として出演した勝間和代氏(と同じチームの他数名)が社会の問題を間違えたときのこと。
有名予備校の講師が解説をしたのですが、そのときの勝間氏の悪態が非常に反感を買いました。

勝間氏(以下「勝」):「(間違っていても)意味は同じだ」
予備校講師(以下「予」):「名前なのできちんと覚えてください」
勝:「こんなのググれば(ネット検索すれば)わかるから覚えておく必要はない」
予:「教養になりますから」
勝:「何故教養になるんですか!?(その後も強引な持論を展開)」
予:「……申し訳ありません」

(会話の内容を再現したもので、このとおりに発言したわけではありません。)

この予備校講師は、これ以上話しても無駄だと感じ、大人の対応で謝罪したのかもしれません。
あるいは、ここで言い負かされたという状況をつくった方が番組として面白いと感じたのかもしれません。
しかし、教育に関わる者として、私はこの勝間氏の発言は許せません。

今の時代、ネットで調べればほとんどのことが調べられ、解決します。
国語の漢字も、数学の方程式も、英語の訳も、理科の実験も、社会の歴史も、調べればわかることですし、調べてもわからないときは、掲示板などに書き込めば知っている人が答えてくれます。
すると、この勝間氏の主張は、小学校や中学校で習っていることも無駄なこと、つまり
「勉強している子どもたちは無駄なことをやっているんだ」
ということになります。

勝間氏自身も、慶応義塾中,慶応女子高,慶応大学,早稲田大大学院という非常に高い学歴を持ち、中央大大学院の客員教授でもあるそうですが、勝間氏が受験で合格するために頭に入れてきた知識も、学校で習ってきた様々な内容も、客員教授となって学生に教えている内容も、全てが無駄なことだと、自らが行ってきたことを全否定していることになります。

また、「教養」というものは、生きていく上で必要不可欠なことではありませんが、あれば生活が豊かになるものだと私は思っています。
例えば、社会の知識を知らなくても生きていくことはできますが、知っていた方が、出かけたり旅行したりするときに、その知識があることで何かを調べる手間が省けるかもしれませんし、歴史的背景を知っていることで見方が増えて楽しむことができるかもしれません。
ですから、どんなに生きていくのに必要不可欠ではないことでも、学校のテストに出ないことでも、教養は人生を豊かにし、人生において教養は必要なものだと私は思います。
勝間氏のこの発言は、ただ「名門大出身」というプライドを守るためだけのものだと思いますが、その発言は、勝間氏自身のやってきたことも否定し、教育に従事する人々のやっていることまでも全て否定しているということであり、許される発言ではありません。

これらのように、報道番組や専門家でも、教養を軽視する傾向になってきています。
その原因として、私は次の2つの原因があると考えます。

1. ネットでほとんどのことが解決してしまう
上にも書いたとおり、ネットを駆使すればほとんどのことが解決してしまう世の中です。
「調べればわかるのだから」という安易な考えでいると、勉強が
「テストや受験のためにあるもの」
「テストや受験が終わったら忘れても良いもの」

という上辺だけのものになってしまいます。
その結果、
「自分が使うものだけ覚えていれば良い」
「テストが終わったら忘れて良い」

という考えになってしまい、教養が軽視されるようになったのだと思います。

2. 学歴社会
学歴が重視される社会では、勉強は学歴を得るための手段となります。
すると、テストで点を取ることを最優先にし、知識やテクニックを詰め込んでいく勉強となってしまい、それが受験後や実生活では役に立たない勉強、教養にはならない勉強になってしまったのだと思います。

学習塾では、成績アップや合格の実績を追求するあまり、テストや受験で必要なことを叩き込み、必要でないことはやらないという勉強になりがちで、教養が軽視される傾向にあります。
そして、保護者や子どもたちまでもがこの考え方に染まってしまい、とうとう学校までもがこのような傾向になってしまってるように感じます。
私はこのような現代の勉強の仕方(させ方)に非常に危機感を持っていて、このままだと教育がダメになる、教育の本来の意味が損なわれる、と考えています。
保護者や子どもたちが、このような考え方に問題があると早く気付くのを願うばかりです。



それでは今回はこれで失礼します。

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